けど……
そこまで精確にして、どうする?
どうする……
どう……
あの重苦しい空気から逃げ出したはずなのに、ネロの問いが、ロッリーアの頭から離れてくれない。
それはゲルマニア海の波のように、何度も何度も、魂の奥に積み上げてきた砂の城を打ち崩していく。
……うち、なんでこんなんなっちゃったんやろ。
ロッリーアは、前へ続く街道に見やる。
石畳の道は、どこまでも平坦に真っ直ぐ、続いている。
……とにかく、そんなこと、もうどうでもええわ。
いまは、買い物のことだけ考えな。
ロッリーアはわずかに息を吐く。
戻る頃には、あの子が忘れてくれてたら、ええんやけど……
「ふっ」
そんなに簡単やったら、朝日でも西から昇るわ。
金袋の中で硬貨が互いに触れ合い、軽い金属音を立てる。
あっ、忘れちゃった……
うちの顔、どう見てもローマ人ちゃうし。
相手に気付かせへんようにせな……
恐らく、目ぇ潰すしかあらへんやろうなぁ。
けどそう言えば……
ローマ人の言葉って……ラテン語やったっけ?
うち、なんでしゃべれとるん?
前なんか、英語すらろくに話せへんかったのに。
……
不思議やな。
ロッリーアは足元を見つめる。
ていうか、なんでローマ(ここ)に飛ばされたん?
昨夜(ゆうべ)、寝る前……
ちゃう――
一昨日の夜、寝る前は何の異常もなかったのに……
まして、異世界への扉(トラック)に轢(ひ)かれるわけあらへん。
……いや、そもそも、これって何なん。
ワームホール?
それとも……胡蝶の夢、みたいなもん?
あるいは、『世界』というシステムのbugなんかな?
……ひょっとして、リタが言うてたみたいに、神様の意志やお導き、とか言うんちゃうやろな?
ロッリーアの口元が、への字に曲がる。
そう言えば……
ほんまにおるんやったら、直接出てきたほうが早いんちゃうの?
なんでうちに。
それに、理由は?
神様なんて、この世の中の万物すべてを平等に扱うって、言うやん?
だとしたら、誰か一人(ネロ)に肩入れしたら……
それって、矛盾しとるんちゃうの。
「……うぅん」
ロッリーアは、いつの間にかきつく眉を寄せている。
思いつく限りの仮説が一つ、また一つと打ち消されていく。
気がついた時には、思考は完全に袋小路へと迷い込んでいる。
もはや、これ以上考え進める気力さえ、ほとんど削ぎ落とされかけている。
……いや、待って。
そう言えば……
アニメの中には、確か医療用完全潜行機器(メディキュボイド)というものが登場したはずや。
……ちゃう。
魂の翻訳機(ソウル・トランスレーター)……やろう。
ひょっとして、うちも同じ事態に巻き込まれてしもたん?
ロッリーアの足取りがどんどん重くなる。
……何考えてんねん、うち。
あんなもん、ありえへんやろ。
それに……
誰かに恨まれるような覚えなんか、あらへんやろ。
……ない、はずや。
ロッリーアの足が、完全に止まる。
右手も再び顎へと添えられる。
せやけど……
時間旅行なんかが実証されへん限り、これが一番現実的な可能性なんかも。
まさか一昨日の夜、どこかの飛行機でも墜ちてきて、そのまま植物人間になっとるだけなんやろか?ただうち自身が、気づいてへんだけで?
ありえへんわけやないけど……
ロッリーアは再び歩き出す。
っちゅうか……
機器のこと、どう理解したらええんやろ。
あんなもの、今はまだ存在するはずがないやんね。
ロッリーアは煩わしげに、自分の長い髪をばさばさと掻きむしる。
こんなこと、答え出たところで何になるっちゅうねん。
ここから抜け出す方法なんて、分かりっこあらへん。
それに……
ネロは待ってる。
ロッリーアは前に進み、いつの間にかかなりの距離を歩いている。
うねりながら起伏する小道をたどり、広い果樹園の縁から、ついに街道へと踏み出す。
街道を行き交う人々や馬車は、それほど多くもないが、決して少なくもない。大勢の牛や馬に引かれた荷車は、貨物が満載されている。
時折、馬に乗った者が駆け抜けていく。伝令の使者のようにも見えるが、兵士の格好をした者は一人もいない。
リタは今無事なのか、分からへん。
もしそうやったら……
ロッリーアは首を振る。
今はあの子(ネロ)のことを気にせなあかん。
うん……
とにかく、食料を買おう。
ロッリーアは城門へ歩いていく。
ネロによれば、ストリウムは岩の尾根の上に築かれた小さな町。住民はせいぜい、数千人ほどしかいないという。
周りは切り立った岩壁で、カッシア街道からしか城門に入ることはできない。
精確な高さは見当もつかないが、一目見た限りでは、少なくとも四、五階建ての高さはありそうだ。
――いや。
それどころか、もう少し高いかも。
20メートル……
くらいやろう?
さすが大自然が作る要塞やな。
ロッリーアは、すぐにそう結論づける。
こんな場所に、兵士の見張りがおらへんわけないやん。
……嘘つき。
うち、そんなアホ面(づら)に見える?
だが今は、たとえ火中の栗を拾うようなものだと分かっていても、飛び込まなあかんのやろなぁ。
火中に飛び込むような真似は、普通ならお給金をもろてやるもんや。
それやのに、うちは一銭ももろてへん。
ほんま、厄介な話やなぁ。
……やっぱり、アホなんやろなぁ、うちは。
ロッリーアはため息をつき、腰の袋にそっと触れる。
……落ちてへん。
よし。
彼女は身をこわばらせたまま、籠(かご)を背負っている農婦たちの後ろについて、城内へ入っていく。
ロッリーアは左右を見回す。
城門は大きく開け放たれている。
衛兵どころか、犬の一匹すらいない。
……ん?
……誰もおらへん?
ホンマに?
脳内にハテナマーク浮かべながら、ロッリーアは町へと足を踏み入れる。
おかしい。
絶対におかしいわ。
どれだけええ加減にしても、せめて二人くらいは門番を置くもんやろう。
こっちのローマ人、一体何をやっとるんや?
町の通りには、人々が川の流れのように行き交っているのに、答えてくれる人なんか誰一人としていない。
行き交う人々の話し声、露店の呼び声、石畳を軋みながら進んでいく車輪の音。
それらは耳に入ってくるというよりも、直接頭の中に絶えず押し込まれてくるようだ。
ロッリーアは思わず眉をひそめる。
胸の鼓動は速まり、呼吸も浅くなる。
歩調さえも、次第に乱れ始める。
うるさい……
うっとうしい……
キモいなぁ、もう……
それでも、まだ我慢(堪忍)できる範囲内。
けど、これ以上なら……
――ぱしゃっ。
足元が突然、柔らかく沈んだ。
ロッリーアは、全身が硬直する。
彼女はゆっくりと視線を落とす。
靴が、何かねっとりとしたものを踏みしめてしまっている。
……見たらアカン。
どうせ、ええもんであるわけあらへん。
ロッリーアの呼吸が、また途切れてしまった。
気持ち……悪っ……
爆発しろ、宇宙……
もうしんどい。
ロッリーアはほとんどよろめくように道端へ移動し、わずかに盛り上がった石の縁に足を乗せると、靴底を力任せに擦りつける。
一度。
二度。
三度。
……まだ残っとるん?
ロッリーアは歯を食いしばり、さらに何度も強く擦る。
……いいから、早うどっか店でも出てきてぇな。
もう、一秒かっておりたないわ。
ロッリーアは視線を走らせる。
少し離れた場所に、パンの絵が描かれた店が二、三軒ほどあるようだ。
やっと……
ロッリーアは、一番近くにある店に目をつける。
もうええ。
鼻で深く息を吸い込み、肩をすぼめながら、人の流れの隙間を縫うようにして無理やり入り込んでいく。
店は小さく、むしろやや狭いほどだ。入口には布の垂れ幕が掛かっており、その端は擦り切れて毛羽立っている。
ロッリーアが手を伸ばしてそれを押し分けると、熱気が一気に押し寄せてくる。
生地の香り、発酵の匂い、そしてわずかに焦げたような匂いが混じっている。
彼女は瞬きをして、室内の光に目を慣らす。
三本の長い木製の台がU字形に配置され、表側と奥側とを分ける。
台の表面は油を含んだように光り、何枚もの金属製のトレイが並んでいた。
だが、その上に置かれているパンの形は、それぞれ異なっている。
丸いもの、平たいもの、細長いもの。
奥では、中年の男が一人、椅子に身体を預けるようにして横たわっている。
物音に気づいて、男は顔を上げ、ロッリーアの顔をじーっと見つめる。
「……何か買おうか(Quid vis emere)?」
彼は立ち上がる。
この男の発音は、ネロのラテン語とはまったく違う。
訛りがきつい。
話しているというより、音節をそのまま投げ出しているかのように感じられる。
だがロッリーアには、はっきりと理解できる。
「パンを(Panem volo)、日持ちするやつを頼む(qui diu servari possit)」
ロッリーアはトレイの上に視線を落とす。
それを聞くと、男は直ぐに動かない。不意に顔を上げ、いっそうじーっとロッリーアを見詰めてくる。
……やっぱりか。
うちの顔、目立ちすぎる。
地元の顔であれば良かったのに。
「……よそからの(Aliena)?」
男はようやく口を開いたが、その声色は先ほどとは少し違っている。
どこか、先ほどよりも慎重さが増したような気配がそこにはある。
ロッリーアはただ「うん(Ita)」とだけ答える。
店内(タベルナ)の空気が、一瞬だけ止まったかのようだ。
だが、直ぐに動き出す。
男はさらに数秒ほど彼女を見つめると、ひとつのトレイを指さした。「こっち(Hoc)、1セステルティウス(sestertius)」
ロッリーアの思考は咄嗟に止まる。
……セステルティウス?
……あれ、いくらやっけ?
ロッリーアは頭の中で素早く思考を巡らせたが、役に立つ情報は何ひとつ出てこない。
そこで初めて、その問題についてまったく考えていなかったことに気づく。
道中、余計なことばかり考えていた。
外国人のこと、ラテン語のこと、完全潜行機器のこと——
肝心の支払うことだけが、きれいに抜け落ちていた。
さっき通貨を確認したとき、なんでネロに名前を聞いとかへんかったんやろ。
あの妙な質問のせいで、頭がすっかり掻き乱されてもうたわ。
……いや。
あの子に非があるわけやない。
ロッリーアの指先が、わずかにこわばる。
しかしその男は、説明する気はさらさらないようだ。
店内に、再び重苦しい静寂が戻ってくる。
……うちのこと、見つめとる。
っどどどどうやったらええん?
いま、逃げ出しても間に合うん?
ロッリーアは足を動かしたいが、まるで釘を打たれたかのように動かない。
さらに、もう一秒。
ロッリーアはごくりと唾を飲み込む。
「うん……」
彼女は首を振ると、腰の金袋(marsupium)を取り出す。
指先が金袋の口に入った瞬間、ロッリーアは問題の重大さに気づかされる。
――自分には、通貨の区別が全く分からない。
それぞれ大きさと色が違っているが、ロッリーアには一つたりろも見覚えのあるものがない。
セステルティウスって、どれや?
銀貨か銅貨か?
どんな形?
ロッリーアの手が金袋の中で止まる。
……落ち着け、うち。
ロッリーアは手を引き抜かない。むしろ金袋の中をゆっくりとかき回す。
そして何事もないかのように、一枚の銀色の硬貨を取り出して台の上へ置く。
……知るか。
男の表情がわずかに変わる。
最初、その銀貨をじっと見つめていたが、視線を外へと少しだけ巡らせ、やがて慎重に声を絞り出してくる。「……細かいのはある(Aes habes)?」
彼の言葉を聞くと、ロッリーアはにわかに自信を取り戻す。
「六つ(Sex)」
彼女はできる限り、平坦な口調で答える。
男の視線が再びその硬貨へ落ちる。
二秒ほどしてから、彼はようやく顔を上げる。「……あと二つ(Duo desunt)」
……ん?
二つ何?
セステルティウス?
ロッリーアは金袋の中から、同じ硬貨をもう一枚取り出して台の上へ置く。
男はそれ以上何も言わず、その金を受け取る。
そして、パンを一つずつ彼女の大きな袋へ詰め込み、代わりに二枚の硬貨を台の上へ置く。
ずしりと重い。
水底の苔を思わせる、深い緑色をしている。
表面には人物の横顔が刻まれ、その周囲をラテン語の銘文が囲んでいる。
……なんやこれ。
セステルティウス?
めっちゃ緑やん。
ロッリーアは硬貨を金袋へ押し込む。
ほんの二、三秒やけど、もう覚えた。
けれども、よう考えてみれば――
一枚の銀貨でたった四セステルティウスとは、あまりにも価値が低すぎる。
彼女はパンの入った袋を提げ、そのままパン屋(タベルナ)を後にした。
通りの喧騒が、再び海の波のように押し寄せてくる。
ロッリーアはもう一度眉をひそめる。
左右を見回してみるものの、なかなか足が前に出ない。
……塩って、どこで買えばええんや?
香辛料屋?
それとも市場なんかなぁ。
ロッリーアは左へ曲がる。
町の中心へ近づくほど、通りはさらに混沌としていく。
地面の汚物を避けたかと思えば、すぐ隣を歩いていた男に肩をぶつけられ、彼女はそのまま半歩よろめき、危うく別の汚物へ踏み込みかける。
背後からは牛車が軋みながら迫ってくる。
慌てて脇へ身を引いた瞬間、ロッリーアは腰の後ろを何かの角へまともにぶつかった。
「……いった……」
ロッリーアは眉を寄せたまま、ぶつけた場所を軽くさする。
……塩、一体どこで売ってんねん。
彼女は再び前へ進む。
ただ、香辛料屋はパン屋のようには見つからない。
ロッリーアは一つ角を曲がってはまた戻り、同じ通りを二度も行ったり来たりする。
あらへん。
彼女は足を止め、周囲を見上げる。
……誰かに聞くの?
ロッリーアは行き交う人々をぐるりと見回す。
……やめとこ。
彼女は再び前へ進む。
もう一度角を曲がると、不意に視界が開ける。
小さな広場だ。
周囲には十数軒ほどの露店が並んでいる。
野菜を売る者、陶器を並べる者――それから、一人の老人が地面に座り込み、目の前に布を敷き、その上へよく分からない薬草のようなものをいくつも並べている。
ロッリーアの視線が広場を一周し、やがて壁際の露店で止まる。
奥の小さな椅子に座る店主は、中年の女である。その女の前に、大小様々な壺が十数個並んでいる。数個の壺は口が開いていて、色とりどりの粉や粒が入っている。
……あそこで合ってるやんな。
ロッリーアはそっちへ向かう。
「塩は(Salem)?」
「ある(Habeo)」女は何気なく一つの壺を指す。「どれくらい(Quantum)?」
「う……」ロッリーアの目は、女の前にある木の匙に目を留める。「三杯、かなぁ(Tres cochlearia)」
女は何気なくロッリーアをちらりと見る。
しかしその視線は、鉄を吸い寄せる磁石のように、ロッリーアの顔に釘付けになる。
手の動きも、わずかに鈍くなる。
うちの顔、そんなにめっちゃ珍しいん?
ストリウムの人間って、こんなに世間知らずなん?
外国人がたくさんおるのに。
ロッリーアは女をじっと睨み返す。
しかし、その女は何も言わない。
彼女はただ黙々と塩をすくって、革で包んで差し出す。
ロッリーアは、一枚のセステルティウスを手渡す。
女は受け取った。そして、セステルティウスより小さな硬貨を二枚、お釣りとして返す。
……さらに小さい単位あんの?
ロッリーアはそれを手元で確認すると、金袋に仕舞い込む。
だが、すぐその場を離れることはない。逆に手中の大きな袋をじっと見つめる。
パン、塩。
……次は?
ロッリーアの視線は、小さな広場を目標もなく見回す。
この二種類以外に、途中で買わなあかんのは何やろ。
肉ならいらんやろな。
あの子は剣の一撃だけで、猪を仕留められるから。
ん……
野菜?
……ダメ。
いまは夏、すぐしなびるはずやから、コスパ悪い。
ロッリーアは左手で顎を支える。
となると、保存が利いて、そのままでも食べやすいものは……。
彼女の視線が隣の屋台へ向く。
……干し葡萄?
これや!
ロッリーアは一瞬で目を輝かせる。
干し葡萄と干し無花果を買ったから、さらに1セステルティウス減ってまう。
この調子では、残りの金じゃそう長くは持たへん。
お金を入れる金袋を閉じ、ロッリーアはどんどん重くなる袋を提げ、来た道を引き返す。
だが、数歩も進まないうちに、再び足を止める。
……水や。
幸い、器はずっと袋に入れてるしな。
ロッリーアは辺りを見回す。
向こう側の隅に、陶器の瓶を並べた屋台が目に入る。
店主は白髪交じりの老人。年齢はおそらく、ファオンと同じくらいだろう。
ファオンは今、無事やろうか。
捕まってへんよな……
そう思いながら、ロッリーアはまるで何かに引き寄せられるように歩み寄り、前にしゃがみ込む。
「……何これ(Quid hoc)?」
老人はまずロッリーアの顔を見る。
彼女が口を開いたのを聞くと、その老人は眉を動かす。
警戒ではない――何かを測りかねるような、押し隠しきれない狐疑(こぎ)の色。
ここの連中は、一体どうなってるんや?
そんなにおかしいんか、うちの顔?
目が三つあんのん?
口が二つあんのん?
ロッリーアは老人を見つめ返す。
「酒(Vinum)」老人はようやく口を開くが、そこで一拍置く。「葡萄酒(Rubrum)」
「……水は(Aqua)?」
「……水(Aqua)?」
老人の目には、先ほどの狐疑を残したまま、新たな困惑を浮かべでいる。
ロッリーアは一秒ほど視線を交わす。
……なんか、めちゃめちゃ間の抜けたこと聞いてもうたみたいや。
……まぁええ。
ロッリーアは立ち上がる。
袋を提げたまま小広場を歩き回るが、水売り屋台だけはどうしても見つからない。
どういうことやねんオィ!
まさか、道中ずっと川を探して回るわけにもいかんしな。
でも、水ってどこで買うねん?
……まさか、水売りなんかおらへんの?
ロッリーアは眉をひそめ、通りかかる老婆を呼び止める。
「恐れ入りますが(Ignosce mihi,)、水はどこで手に入りますの(ubi aquam invenire possum)?」
老婆は一瞬きょとんとするが、細い路地の奥へ顎をしゃくる。
「向こうだよ(Illic)」
「……ありがたく存じます(Gratias tibi ago)」
ロッリーアはその老婆に一礼し、示された方向へ歩き出す。
路地の角には、石造りの水槽があった。
細い水流が、壁から突き出た管を通って、絶え間なく流れ落ちる。
その傍らには若い少女たちが何人か立っており、陶器の壺で水を汲んでいる。
……なるほど。
水って買うもんちゃうんか。
ロッリーアはしばらく呆然とするが、ようやく自分が何をしに来たのかを思い出す。
袋からあの器を取り出し、水汲みの列の最後尾に並ぶ。
前にいた少女たちは仲間同士で気楽に話をしているものだから、ロッリーアが近付いてきても、一度振り返って見るだけ。
ロッリーアは静かに順番を待つ。
だが、少女たちの会話は嫌でも耳に入ってくる。
……どうやらそのユリアという娘は、シキウスという男に惚れとるらしいな。
やがて前にいた少女たちは順番に水を汲み終え、笑い合いながら連れ立って去っていく。
ロッリーアは銀器に水を満たし、それを再び袋へと押し込む。
それから、彼女はふと自分の靴底を見下ろす。
……まだ少し残ってる。
ロッリーアは足を持ち上げ、水元に当てて洗い流す。
先ほどの少女たちはもう遠くへ行って、水槽の傍らには彼女一人しか残っていない。
ロッリーアは何度も何度も、足を洗い流す。
もう十分だと思えるまで洗い、ようやく足を下ろす。
濡れてる。
冷たい。
けど、これでキレイになったわぁ。
ロッリーアは深く息を吐き出し、袋を提げ直すと、来た道を戻っていく。
2026.06.13 14:25
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